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死んだらどうなるの?怖いと思う人へ「あの世の人」が解説!

人間、死んだらどうなるのか?
考えればやっぱり怖い。
そして、永遠に謎だ。

科学的に死んだらどうなるのか、いろいろ言われているのは知っている。
けれど、死んだ時に一体どんな意識や気持ちになっているのか、全然見当もつかない。
だからよけい怖いのかもしれない。

けれど、死んだ人たちの体験を知ることができれば、すごくそんな暗闇から抜け出せるはずだ。
お墓
もちろん臨死体験とか、一度死んで戻ってきた人たちもいるけれど、そうではなくてガチに死んで今この現在にあの世にいる人たち。
その人たちの体験談が一番。

世の中広くて、確かにそんなあの世の人たちの実体験として私も知っている有名な実録がある。
死んだらどうなるのか、本当に怖いのか怖くないのか、誰でも興味が尽きないにちがいないけれど、ちょっとかいつまんで披露してみよう。

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「小桜姫の実体験」そんなに怖い、苦しくない?

私たちは死んだらどうなるのか、いつの時代でも謎だらけだ。
けれど、もしも死んだ人たちの体験談を聞けるなら、一番わかりやすい。

でも、そう言ってしまうと要するに「幽霊に話を聞く」というわけになる。
だから、霊とか幽霊の存在を信じていること、そしてまた、そのようなあの世の人たちからの通信が信じるに足るような裏付けや根拠を持っていることが前提になる。
そんなわけなので、まずはこの2つのポイントをご了承頂きたい。

その上で、今回持ち出したいのが「小桜姫物語」という本に書かれている内容。
足利時代に亡くなった小桜姫という武家のお姫様の死後について、自身が体験した内容を霊媒を通じて語った本になる。

この中で、小桜姫は自分の臨終、そしてその後、つまり死後、彼女の周囲の様子や出会った人たち、そして人以外の人たち(なんだか変な文だ 笑)について、細かく伝えている。

つまり自身のことに限るかも知れないけれど、死んだらどうなるのか、それを伝えてくれているのだ。

あまり怖いわけではない?それよりも・・・

小桜姫の場合、長患いで病床に伏しておられたこともあってか、結局自分がこの先はかない命だと言うことが分かっていたようで、それほどに怖いとか言う気持ちはなかったようだ。

それよりもむしろ、彼女の生きた時代は風雲急を告げる戦国の世の中のため、住まいのあったのは神奈川県三浦半島という。

そして、その地に拠点を持つ彼女の夫で領主・三浦荒次郎義光が、小田原の北条氏に計略によって滅ぼされたことを深く恨んで、死んだ後もその気持ちで一杯だったようだ。

それと同時に、年老いた両親よりも娘の自分が先に死ぬと分かった時、両親への申し訳ない気持ちでずいぶんさいなまれていたという。

だから結局のところ、死んだらどうなるのかと言えば、生前の気持ちをほぼそのまま引き継いでいるということ。

自分の死を怖いというよりは、生きていた時の感情がまず先に立つ、ということのようだ。

もちろん死ぬ時には人それぞれの思いがあるにちがいないし、死んだらどうなるのかは、どんな死に方をしたのかで、いろいろ変わるということも言われている。
一応それを信じるなら、ということになるけれど、いずれにしても怖いという気持ちよりは他の感情が先に立つようだ。

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死ぬ時は見かけほど苦しくない?

そして、小桜姫の語っていることで、もう一つ注目すべきことがある。

それは、少なくとも彼女が死んだ時には、目に見える彼女の苦悶の様子よりは、以外と死ぬ時の苦しみというのはあまりない、と言うことだ。

「傍(そば)からのぞけば、顔が引き攣(つ)れたり、冷たい脂汗が滲(にじ)み出たり、死ぬる人の姿は決して見よいものではございませぬが、実際自分が死んでみると、それは思いの外(ほか)に楽な仕事でございます」
(「小桜姫物語」より引用。多少漢字を修正するとともに括弧のふりがなは私(高橋)による)

もちろんこれも人それぞれだろう。
小桜姫の場合、体がどんどん弱り切ってしまったので、結局苦痛を感じる力さえ残っていなかったのかもしれない。

そしてこういう病死の他に、よく言われるのが水死が一番苦しいとか、銃で撃たれて死ぬのは一番楽だとか、それこそ死に方によっても千差万別だろう。

だから小桜姫の個人的な体験談をすべての人の死に当てはめるのは誤解の元となるかもしれないし、それこそ怖い結果をもたらすにちがいない。
天国

死ぬ時の気持ちは科学でも分からない?

そういうわけで、すごく貴重な体験談として小桜姫の臨死、そして死後の話をお伝えしてみた。

死んだらどうなるのか、それをこういう情報で考えるためにはくどいけれど、こういう死後の世界、そして死んだ後もその人の意識、というよりは魂が永遠に存在することを信じることが大前提になる。

そしてまた、いくら科学的にああだ、こうだといっても死ぬ時に際しての本人の気持ちというのは計り知れない。

本当に私たちが死んだらどうなるのか、いろいろ怖いかも知れないけれど、怖いのなら怖いほど死んだらどうなるかを突き詰めて考えるべきではないだろうか。

そして、誰もが気持ち、そして苦痛的にも楽なままに死にたいと願うにちがいないけれど、そうであるなら、いっそう私たちは今生きている、その有り様を振り返って考え直してみるべきにちがいない。

高橋国大(くにひろ)

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