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御朱印集めはスタンプラリー感覚OK?おすすめなスタンスとは!

最近、過熱気味な御朱印集め。
それがなんだかスタンプラリーみたいな感覚で流行っているとも言われている。

何しろ「御朱印ガール」などとレッテル張りされて、あっちこっちの有名な神社仏閣で御朱印をもらう女性も増えてきている。
それでいて、マジメに参拝する気持ちはほんの付け足しみたいなことも多いようだ。

転売さえも起きていると聞くし、確かに鉄オタさんのスタンプラリー感覚なのかも知れない。

でも、実はスタンプラリーのような軽い感覚で御朱印をもらっていくのも一面OK、というのが私のスタンスだ。
なぜなのか?

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重い御朱印の意味!最初は軽くスタンプラリー感覚からでよい?

その理由の第一は、旅行などで各地の名所や古刹を楽しむ女性たちにとって、難しい理屈を覚えようとするのはちょっと敷居が高いということ。

御朱印というのは参拝の証(あかし)で、神社やお寺とつながりを持った事を証明すると言われている。

だから本来とても重い、大切な意味を持つもので、もらった本人が亡くなった時には棺桶に一緒に入れられたりするほどだ。
スタンプラリーみたいな感覚ではいけないし、御利益があるという声があるのも一理ある。
御朱印
けれど、はっきり言って、日頃全然そういうものとは関係のなさそうな生活をしている私たち。
そんな御朱印の本来の意味を初めから細かく聞かされても、スタンプラリー的な感覚を抜け出せるものではない。

それどころか、本来の意味を聞いてもたいていは「へー」みたいな反応で終わるのがヤマだ。

でも女性たちにとっては旅先でそんな流行に乗っかるのも「楽しみ」のうち。
ストレス解消もあるし、旅行した証(あかし)にもなる。

だから、帰宅した時、旅先のお寺や神社でもらった御朱印を眺めたりして、その時の楽しい思い出にふけったりできる。

そして、はっきり言ってしまうけれど、ふつうの女性にとってはそこでストップ。
旅先のスナップ写真と同じ感覚かも知れない。
それ以上に難しい、ややこしい話は、それこそストレスになる。

でも、スタンプラリーと同じような感覚で「止まる」からこそ、御朱印の本来の目的が上滑りしているように見えて、こんなふうにしっかりと女性たちを助けている。
これは言えるのではないだろうか。

最初はスタンプラリー感覚でも、心のあり方が徐々に“進歩”すればよい?

でも、確かに本来の意味を考えれば、ふつうのスタンプラリーみたいにして、御朱印集めが目的だけで参拝に来られてもよくない。

だから、最初はよくあるスタンプラリーみたいな感覚もアリかも知れないけれど、様々なお寺や神社を巡って集めている中で、少しずつでも御朱印の大切さ、本当の意味を知っていけばよい

実はこれが私のスタンス。
おすすめでもある。

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最初は神社やお寺で注意書きを見て、本当の意味とか作法に「へー」となる人が多いと思うけれど、ふだんからそういうところになじみのないワケだから、徐々に慣れていけばよい。

神社やお寺も、参拝するに教え諭すのも大変かも知れない。
何しろ御朱印集めだけが目的で、もらったら参拝すらしないで帰る人もいるとか。
(あくまでも「参拝の証(あかし)」だから、これは絶対NG!)

けれど、最近はネット世間もそういう正しい情報を流しているし、ネット民の方たちもそんな情報のうち、何が正しくて間違っているかを見抜く目も養われてきている。

そしてメディアやテレビでも流行になっていることもあって、よく取り上げてくれている。

そうやってスタンプラリーとは全然違うものだということ、そういう感覚で集めるのはよくない、と世間で徐々に、そしてしっかりと意味を知っていくのがよいにちがいない。
お地蔵様

あくまでも私個人の意見としてだけれど、お金というポイントになると、お寺や神社だったらある意味参拝者と“持ちつ持たれつ”じゃないかな、と思ってしまう。
その中で、スタンプラリー感覚もある程度はしょうがないかも知れない。

御朱印をもらうには基本的にどこのお寺や神社でも最低300円お金を払う。
(500円のトコロもあった!)

ということは、御朱印をもらう参拝者が増えれば、ぶっちゃけた話それだけ神社側、お寺側ではよい収入になる。
とりわけなかなか実入りの少なそうな、小さなお寺や神社はなおさらうれしい話かも知れない。

たとえば、私の知人に神主の息子だという男性がいる。
その彼に聞くと、大きな神社だったら数百万円規模の月給制もあるらしいけれど、小さな神社はそんなものもなく、やりくりがなかなか大変なようだ。

話によると神社に関係する仕事は、小さな神社になると年収にして何と10万円未満。
年中行事などで神主の仕事をした時、地域から受け取るお金がその大半らしい。

だから、他に生業(なりわい)を持ってそのかたわらで神職をするしかないわけだけだけれど、なかなか両立も難しいみたいだ。

その男性、家庭持ちだけれど、ほとんど神社の方は実家に任せっきりのようで、東京に出てきて鍼灸医をしているとか。

神主の資格も持っているらしいけれど、実家の方の生業はほんの副業のような感覚らしい。

そんな小さな神社にとって、別な収入源ができて生活が楽になれるのかも知れない。

最終的には「心」の問題?御朱印集めがそのきっかけに?

私も京都や大阪の大きな神社仏閣で御朱印をいただいたことがある。

その時に感じたのは、社務所の職員の方たちの礼儀正しさ、そして優しさだった。

中には本当にスタンプラリーと同じような感覚で参拝し(繰り返すけれど、参拝そっちのけの人もある)、他の参拝者からも白い目で見られるような人もいないわけではなかった。

けれども職員の方たちは基本的にそういう人たちにも他と変わらない態度で接してくれている。
そういう応対をみて、やっぱり心に感じる人も多いかも知れない。

現に私も御朱印をもらう時にはちょっと緊張するようになったし、前は神社に訪れていきなり社務所にお願いしたことがあったりした(京都・宇治市某神社でのこと。ごめんなさいっ!)。

でも、こんな私でも徐々にスタンプラリーと同じに考えてではいけない、という気持ちが湧いてくるし、社務所や職員の心遣いには感謝するしかない。
社務所
そして、有名なお寺の寺務所や神社の社務所では、御朱印のもらい方や参拝の関係についてはきちんと書いているところが多い。

そして、そういう経験を繰り返す中で、やっぱり神社やお寺に行く時には、最終的に「心のありかた」に気づくはずだ。

今、本来の意味を知る人こそ割合的に少ないかも知れないけれど、そのきっかけになることだと信じたい。

国ノ木はるな

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