初詣の時期が近づくと、大きな神社やお寺に参拝する計画の人も多い。そして年に一度だから、両方にお参りする人も多いにちがいない。
でも考えてみれば神社とお寺はいろいろ違う。
実際、参拝の作法も違いがある。
だから特に初詣で両方へ参拝に行く方は注意したい。
作法の違いが複雑でこんがらがるからだ。
そして初詣に失敗すると、その一年ずっとモヤモヤ。
縁起の悪さも連れてきてしまいかねない。
だからこれだけは気をつけたい、として語ってみた。
そしてまた、神社の神様、お寺の仏様が相手だからやっぱり両方ともスピリチュアル的なことを考えなくてはならないはずなのだ。
作法の違いとか、表面上のことにばかりとらわれるとうっかりこれをしくじってしまう。
初詣に限らず、そんな神社やお寺に参拝する時に知っておいて損のない知識なので、それもお伝えしてみよう。
両方とも知っておこう!神社とお寺の初詣・参拝の作法の違い!
まずはともかくも初詣でよく失敗しがちな作法の違いをお伝えしてみよう。
神社とお寺で、作法は両方で似ている点も多いけれど、それでもやっぱり違いがある。
結論を言うとお寺の方簡単そうだが、それでも両方で、本当にこれだけは違いがあるから気をつけておきたい、というポイントもある。
初詣はやっぱり一年の始まりを気持ち的にも持つことになるので、なるだけ失敗しない正しい作法で行いたいものだ。
神社は「二礼二拍一礼」
両方の作法を説明すると、まず神社の参拝では「二礼二拍一礼」と言う作法になる。
これは順に「二礼」「二拍」「一礼」、という三つの作法を行うのだ。
順に説明してみよう。
【1】まず最初に「二礼」する作法から。
- 本殿の正面にある鈴をまず鳴らしてから
- お賽銭箱に賽銭を投げ入れる。
- そして二度お辞儀する。
【2】その後で手を二度叩く。
これが「二拍」というもので、手をたたき終わったらそのまま、本殿の前で願い事を祈る。
【3】そして最後に一礼して終了。
お寺の方がずっとシンプル?神社の作法の“意味”とは?
ここで神社の作法にまず注目を。
初詣も同じだけれど、参拝の作法にはそれぞれ意味がある。
これがお寺の作法の大きな違いにつながっている。
上の【1】で鈴を鳴らすのは、
“自分が参拝に来たことを神様に知らせる合図”
という意味がある。
また、【2】で手を二拍するのは、
“自分の気持ちが神様に対して素直になっている”
ことを伝えるためのものになる。
だからお寺ではこういう二拍は必要ないし、鈴もない。
また、神社の境内には必ず鳥居が入り口にあるけれど、鳥居をくぐったり、参道を通るときは必ず中央を歩くことは避けること。
これは境内の中央は「神様の通り道」と考えて、開けておく必要があるためだ。
初詣だと、参拝者ででごった返していることが多いので、作法を知らない人も多いし、知っていてもけっこう無視する人もいる。
けれどそれぞれの意味を考えれば、作法を守ることは大切だ。
お寺はずっとシンプル?「お線香」「賽銭」「願い事」で終了!
これに対してお寺の時にはそういう心配はないし、特に大きなお寺の場合、境内の正面には線香を焚くお焚き場が設置されている。
お寺の参拝の仕方は
- まずこのお焚き場がある場合にはそこで線香を焚き、
- その後本堂の正面に言って賽銭を上げ 、
- それで両手を合わせて願い事をする
ということになる。
これで万事が終了。
両方覚えておくべきだけれど作法だけで見れば、こっちの方がずっとシンプル。
細かい作法の違いを覚えきれない私などは「仏様」びいきなのだが、いかがだろうか?笑。
御利益の違いってあるの?
一番気になる御利益について、どういう効果があるのか、神社とお寺で差や違いってあるのだろうか?
それを心配する人は多いかも知れない。
でもはっきり言ってしまうけれどあまり御利益など本来的な祈りの場所としての違いとその“効果”というのはないと思って良いかも知れない。
というのも神道と仏教とは元々江戸時代まで両方がごっちゃになっていた。
だから当時、庶民はお参りしたり信仰していたし、分け隔ては元々なかった、という歴史的な事情がある。
それにまた、拝む対象や作法の上での形の違いはあっても願い事や祈りのようなものはすべて心のありようが問題になる。
だから御利益については両方とも心の問題。
基本的に違いはないと言って良いだろう。
神社やお寺は両方参拝可能!願い事もOK!
ここでもう一つの気がかり、“神社とお寺に両方参拝しても大丈夫か?”
ということについてお伝えしてみよう。
結論。
両方行っても大丈夫。
何しろ心の問題なのだから、願い事を両方にしたってOK。
スピリチュアル的にもまずこう言える様だ。
初詣となれば新しい一年について、自分の希望や願い事を神様や仏様に対してしっかりと願い出ようとする。
要は貴女の気持ち一つ。
真摯な気持ちがあるかどうかだ。
感謝の気持ちも忘れないこと!
でも実のところ、これだけではない。
初詣とかお参りというのは確かに願い事のためにある様な行事に見えるけれど、ぜひ次のことにも注意しておいた方がよい。
一つには、初詣は単に願い事を頼み込むようなためだけの場所ではない、ということ。
もっと大切な事として、こうした場所というのは、神様や仏様に感謝に訪れる場所だということ。
願い事を捧げる態度と合わせて、両方とも大切な事だということを銘記していただきたい。
スピリチュアル的には、神社とかお寺には尊い神様や仏様の“スピリット”が存在するらしい。
でも、それらと私たち人間をつなぐのは心。
だから心が清らかであればあるほど、願い事が気高くて真剣であるほどよいかも知れない。
そしてある意味それ以上に、私たちを常に見守ってくれている神様や仏様がいる、という有り難さがある。
それをなおざりにして、ただ御利益や願い事の実現だけを期待して参拝するのはいかがなものか?
スピリチュアル的に私自身が見た考え方だ。
初詣、参拝を通じて日頃の自分自身を見つめよう!
だから、いわば“はじめに御利益ありき”みたいな態度で参拝してやたらと願い事を持ち込んでも、そうそう思い通りの御利益は期待できないかもしれない。
御利益を本気で授かりたい、と願うのであれば、自分の普段の気持ちや心根を正すように努めていく必要があるにちがいない。
初詣も含めて、神社やお寺への参拝という行為は、自分自身の心と向き合うことでもあるかも知れない。
初詣に行きたがらない人も多いけれど、その意味では初詣も神様、仏様を通じて自分自身を見つめる良い機会ではないだろうか?
上手な御利益の授かり方とは
でも、やっぱり私たちも人の子。
結局は、
「どうすれば一番良い御利益があるのか?」
という疑問が湧くのは人情ではないだろうか?笑
でも、いろいろお伝えした中、それを考えることは結局私たちの心の有り様を正す意味にもなりそうだ。
そう考えればむしろ御利益を考えることは大切かも知れない。
最後になるけれど、じゃあどうすれば御利益を授かりやすくなれるのか?
これについて一つのアイデアを。
あくまでも私の知る「その筋の人」の教えになるけれども、
神様に願い事をするときには、自分も神様にこういうことをしますから、と約束する
のも良いようだ。
たとえば道に落ちているゴミを拾ったり、人に親切にしたりするように心がける、とか、ようするに社会や世の中の人のためになるようなことをするように心がける約束をすると良い。
神様、仏様にの前に願い事をするのは気持ちを正す、よいチャンス。
初詣というあらたまった行事として一年に一度、そういうことを考えるのも悪くないのではないだろう。
ぜひご自身の心の化粧と考えていただきたい。
加藤由美子