守護霊というのは、文字通りその人を守ってくれている霊。
江原啓之さんの話ではそうなっている。
じゃあ一体どんな人が守護霊として自分についているのか知りたいもの。
そう願うのは誰でも同じだ。
江原さんによってスピリチュアルな知識や情報が広く行き渡ってくれた。
そのおかげで、そういう霊の種類もわかるようになってきた。
でも同時に、もっと霊の世界を知りたい。
江原さんのように守護霊などと話もできるようになりたい。
そう願う人も多いはずだ。
だが、そうした知りたいという人情にからむ危うさ、リスクがあるのは間違いない。
端的には霊の世界など、一般社会の上では非常にアブナイ話。
そして本来あるべき守護霊への心の向け方だって知っておくべきだ。
難しい話ではないから、ぜひお伝えしてみたい。
守護霊を知りたいのはなぜ?江原さんも窮地の中で知った?
霊に興味のある人だったら、江原啓之さんの語る守護霊や背後霊の存在も信じている方も多いだろう。
全然霊なんて信じない、という方もいると思うけれど、それでも十分かまわない。
だが、それでもそんな霊がいるとすれば、それは一体誰なのか?
興味本位であれ、知りたいと願ってやまないはずだ。
私自身も、守護霊という種類の霊が自分についているのならば知りたいし、日常生活で毎度世話になっているわけだから挨拶の一つでもしておかないと義理も立たないだろう。爆笑
でも、そうでなくとも私自身は守護霊の存在をやっぱり信じている。
というのは、江原啓之さんに直に会った話したりしたわけではないけれど、私もそれなりに名高いその筋の人たちに複数あって話したことがある。
その中で、やはり知りたいと思ったので聞いてみたところ、それなりに霊はついている、と言い聞かされてきた。
ただ、江原さんの修行のいきさつを私も書籍などで垣間見たことはある。
その大雑把ないきさつを語ってみるけれど、大変な苦労の中でようやく江原さん自身、「正清の霊」という自分の守護霊と交信している。
結局のところ彼のような人物でさえ、苦しみ抜いて死ぬ一歩寸前の状態になって初めて知ることになった。
そういう自分自身の窮地なり実情なりを一番身近にいて細かく知っている。
だからこちら側が悩んだり苦しんだりしていればいくらでも解決策を出してくれるし、最高に慰めや危険の回避も知らせてくれるに違いない。
だからみんな誰もが知りたい、と願うのではないだろうか?
なお、ウィキペディアでは守護霊の解説は以下のようになっている。
「守護霊(しゅごれい、英 : guardian angel,guardian spirit)とは、人などに付きその対象を保護しようとする霊のことである。」
打ち出の小槌を求めて知りたい、話したいと願っても無駄?
そう考えると守護霊と楽々交信ができれば、この世で怖いものなし。
この世を楽に、賢く生きたいという願望があるからこそ、いつも誰が自分を守ってくれているのか知りたい、直接話をして知恵やアドバイスを授かりたい。
単に一言、知りたいという私たちの気持ちの裏にはどうしてもこんな打算が見えるのではないだろうか?
これは私の覚えている限りだが、江原啓之さんの本の中には書かれていなかったことのはずで、むしろ信頼できる別な方からのアドバイスになる。
ただ、江原さんもそれっぽいことは確かに語っていて、
“守護霊は、ついているその人の『魂の成長』を願って行動しているもの”
と彼が認識していたと私は理解している。
『魂の成長』というのはわかりづらいが、私なりにもっとぶっちゃけて言えば、
「より幸せになること」
だと思っている。
幸せという言葉にもいろいろ意味がとれるけれど、要するに「心が幸せになること」だ。
そして自分自身よりも一回りも二回りも知識や人格的に優れている。
そういう霊が、まるでついている人間が打ち出の小槌を求めるように、苦労や悩みの解決をホイホイと教えたり語りかけるとは思わない。
どうしたって、江原さん自身の身の上や、その力説するところのように、自分で大きく深く悩んだり苦しんだりする必要があるようだ。
江原さんの「正清の霊」だって、ようやく適したときが来たとき、自分から彼に向かって素性と名前を語っている。
江原さんにしてそうなのだから、普通の人に向かってそうそう安直に語るようなことはないだろう。
待つしか無い?あくまでも自分の努力から目をそらさないこと
ということは、守護霊を知りたいという気持ちもわからないではないけれど、闇雲に好奇心や生活や恋愛で何らかのちょっとした壁にぶつかってすぐに解決策やアドバイスをもらうと言うことは難しいはずだ。
これは江原さんも確かに語っているけれど、人がこの世に生まれてきたのは、あくまでも彼の言葉を借りれば「魂を成長させるため」。
そのためには苦労や努力、苦境を経験して行かなければならない。
自分自身に課された義務のようなものだから、それをスルーすることは許されないと言うことになる。
だから、よっぽど気持ちのありようが平静で浮つかず、それこそ人格者のような心持ちでいない限り、霊感がある人だって簡単に更新できるとは思えない。
それよりもやはり、今生きている自分の目の前に置かれた数々の出来事や問題を、「自力で」解決していく、乗り越えていく努力こそが大切になる。
出てきてくれるかどうかは、生きている人間の都合ではないのだ。
だから待つしか無い。
待っても出てこないかもしれないし、むしろそんな特定の目的だけのためなら、考えなくても良いくらいなはずだ。
守護霊を知りたいという気持ちよりも大切な心のあり方が
ただ、それよりも守護霊、背後霊あるいは先祖の霊に対して、知りたいと願う気持ちよりももっと大切になる心のあり方がある。
何かと言えば、感謝の気持ち。
江原さんもことあるごとに語っているようだし、他の私の知っているその筋の人たちも異口同音に語っている。
私もまだはっきりいえばそういう境地になれない人間だが、
「この世に生かされている、そのように見守ってくださる多くの霊や先祖に感謝の気持ちを向けることこそが一番私たちにとって大切なこと」
ということ。
「できにくいのなら、最初のうちは自分の心に嘘でもよい、心の中で目一杯そういう思いを強く持つように努力しながら、感謝の気持ちを表すこと」
というのは、知人のその筋の女性から聞いた話だ。
どんなことであれ、知りたいと願うのは人の持つ本来的な欲求に違いない。
そんな中で、守護霊が誰なのか知りたい、という願望がきっかけで、ご自身の幸せ、つまり魂の成長に結びつく何かのきっかけが得られること。
そうあっていただきたい。
高橋国大(くにひろ)