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性格悪い?意地悪で自己中な自分を改善したい、と切実に感じるときにはどうすべきか

世の中にはここまで性格悪い人がいたのか?と思えるような意地悪な人がいる。
と思えば自己中が身についてしまった女性。
でもそれを何とか改善しなくては、この先出会いの場でももの凄く支障が出る。

それが意地悪で性格悪い自分を改善するきっかけ、と言うか気づきになることはよくある話だ。

だが意地悪とか自己中という性格の面でのワケありを改善するのは容易なことじゃない。
でもそれをし遂げなくては将来は暗いばかりだ。
そういう悩みに気づいて何とかしなくては、と考える方にお伝えしてみたいことがある。

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自分を意地悪とか性格悪いと卑下して改善しようとする裏にあるものに気づくべき二つのこと!

まずそういう性格悪い自分自身、自己中な自分に気づいている人は、確かに多い。
ただ、そういう意地悪な自己中の性格をどこかで改善しなくてはならない、と思う方たちも、圧倒的に少ないはずだ。

だが私が特に指摘しておきたいこととして、そういう自分の意地悪な性格に悩んで何とか改善したいと思っている人たちに二つの事がある。

一つには、どうかよくよく考えていただきたいのだけれど、人間て誰でも性格悪い側面を持っていたり、他人に対して意地悪な部分が有ったりするものではないだろうか?

何かの行動を起こすときには自分の利益を第一に考えることも普通に誰でもしていること。
自己中などは私だっていくらでも人から指摘を受けていたりする。
そういうのは確かに改善すべき部分もあるけれど、逆に考えてみよう。

そういう性格悪い自分のことをあえて直視して、それをどうにか改善しようということ自体、素直で大変立派な心根ではないだろうか。
これは絶対にそういう風に評価して良いはずだ。

確かに私自身も自己中などと人に指摘までされればそう見えているのかも知れないし、実際そういう部分が人と相対するとき、浮き彫りになっているかも知れない。

だが、そうはいってもどう改善出来るのか?

たとえば、そもそも婚活で自分が良い男性と出会うことを願うこと。
考えようによってはこれすら立派な自己中になる。

そういうわけで、自分のそういう性格悪いところ、意地悪や性格などを見つめて改善しなくてはならない、と言うこと自体は客観的に、そして冷静に自分の性格を見つめることが出来る女性。
それだけでも私の目から見れば立派と言ってよい。
ぬいぐるみを抱くドイツ人女性
思うに、人は誰だって心にそういう合わせ鏡のような両面を持っているのではないだろうか?

イエスキリストだって、考えてみれば山にこもって修行していたときは、自分一人だけが悟りを開こうとしていた。
だがそういうイエスを性格悪いとか自己中とか言う人間、おちゃらけ以外にいるだろうか?

意地悪とか自分自身を改善したいという女性がいるならば、どうしても心の部分ではなく、表向きのそういう性格の表れ。

口が悪いとか、自分より下の人間を見下したり、上の人間をこきおろして陰口をたたく、そういう女性は確かに多い。
私も職場でさんざん目にしてきた。

でもそういう人たちは、自分が性格悪いなどとおくびにも態度で示していないし、仮に自分たちのことを意地悪だと知っていたとしても、直そうなどとも思っていなかっただろう。

だから、こういう風に現実の女性たち(と言うか、男性も含めてだろうけれど)が
ある中、自分自身の自己中や意地悪を直してたい、性格悪い自分の心を改善したい、というのはよほど純粋な心の持ち主だと言えるのではないだろうか?

自分に自信が持てない女性によくあるケース?

そして二つ目だけれど、そういう風に自分自身の意地悪さ加減とか、自己中に嫌気が差す、性格悪い自分をどうしても許しておくことは出来ないと考えて、いわば自虐思考を持つ女性。

私も見かけたことがあるが、そういう女性に多くの場合はっきりしているのは、
“自分に自身が持てないままでいる”
ということだ。

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あくまでも現実になにがしかの資格を持っていたり、有名大学を卒業していたり、と言う様な、いわば現実的に自信を持てる要素がない、というよりももっと心の中の問題になる。

確かに現実的に自分の容姿に自信がなかったり、また仕事や趣味で人に秀でているとか、何も取り柄が無いような場合にはそういう自虐的な気持ちにもなりやすいのかも知れない。

でも、そういう現実を持つ女性の方がよく考えれば多いはずだ。
だが、少なくとも実際に自信のない状況があったからと言って、そういう女性たちが全員すべて同じように自信を持てなくなっているのか?

もっといえば、そういう女性たちが全部意地悪で性格悪い、自己中女になってしまっているというべきなのだろうか?
そうではないはずだ。

じゃあ、なぜそういう風に思い込んで改善しなくては、と切羽詰まった気持ちになるのかといえば、
“気持ちの上で自信がない”、
と言うことになる。

気持ちに余裕があれば他人にだって優しくなれるし、たとえばいたずらに陰口をたたいたりして、周囲から好感度を落とすこともなくなってくるはずだ。

だから改善すべき心の部分があるとすれば、自分の手で自信まで失わせないこと、と言うのが一つあるだろう。
自信
これに加えて、実際そういうジレンマに陥った女性に対して、実行してみてはどうかと思うことがある。

ぜひ実行していただきたいことを二つだけ提言!

じゃあどうすればそういういわば意地悪で自己中な自分自身を改善出来るだろうか?

当然ながら、何かを努力して行くしかない。
その何かなのだが、いろいろ考え出すと多すぎるから、次の二つだけに絞ってみることをオススメしたい。

まず、他人の悪口を言いたくなったら我慢すること。

我慢という努力を意識しなくてはならない自分がいたりすれば、確かにはたからも性格わるい、と言うことが自分で見て取れる。
それが自分で分かったら、我慢して、そういう口を利くことは慎むべきなのだ。

もう一つは出来るだけ自分が他人に誇れるような仕事や趣味を確立していけば良い。

自分にはムリ、と最初から諦めて、もっと他に打ち込める対象があればそれでもかまわない。
だが、結局たとえばだけれど、他人のアラをあげつらって話の種にしたりするのは、自分に自信がないこと、そして自分が努力を放棄していることの表れになる。

性格悪い自分を本当に直したければ、そういう風に何かに黙々と向かうようにして、少なくとも気持ちの上で自分に自信を持たせることが大切だ。

そういう風にしていると、ときには逆に自分がやり玉に挙げられたり、陰口のタネにされる事がある。
その経験も絶対に大切なはずなのだ。
結局それに打ち勝つことが意地悪な自分や、自己中を改善するきっかけになると私は思う。

そういうわけで自己中や、自分で自分の性格悪いのを嘆くのは決して珍しい事ではないにちがいない。
そういう思いが出てきたらまず自分に自信を持つこと。
そして自分に至らなさがあったら、勇気を持って自己変革を、ぜひがんばっていただきたい。

ゆうき まな

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